到津の森公園

名誉園長の部屋 公園だより

日本人とペット

昨日から森本千絵さんが来園されています。

CM撮影に園の観覧車を使用しているのですが、この撮影の監督がなんとあの中島信也さん。カップヌードル「are you hungry?」や伊右衛門のCMといえば知らない人もいないと思います。

何のCM撮りかといえば・・・いえいえ、これは出来上がるまでの秘密ということにしておきましょう。

 

さて今日は、昨日、園長室で森本千絵さんや中島信也さんと雑談していたなかでのお話です。

千絵さんの事務所には「ザブ」という5歳になる小型犬が鎮座ましましています。この「ザブ」は雄で、どういう訳かみんなの腕を舐める(それも飽くことなく)のだそうです。千絵さんは雄だから発情しているのではないかと考えています。「ザブ」にはまだ子孫がありません。千絵さんは子どもを取ったら「ザブ」を去勢しようかなと思っているそうです。

そこで、今回は去勢すべきか否かという何かしら身につまされる話題を取り上げてみました。

 

ペットは(最近ではコンパニオンアニマルともいうそうですが)人の社会の中(人間)で暮らしてきて長い年月を経て来ました。犬が家畜化されたのは2万年前とも言われています。そうペットというよりも家畜といった方が分かりやすいかもしれませんね。

 

昔の日本では身近な動物といえば牛や馬、いわゆる使役動物です。田や畑を自分たちと同じように働いてくれる仲間。どちらかというと人よりも優遇されていました。宮本常一の「忘れられた日本人」という本の中にもそのような事が書かれています。またこの本の中には雄の馬が雌の馬屋の近くにを通ると近寄ろうとするので難儀するという光景も描かれています。つまり日本ではこれら家畜を去勢するということがあまりなかったということが分かります。

日本人の感覚としては動物であれなんであれ自己同化する習性(感情移入と言ってもいいかもしれませんが)があります。これを良いとするか悪いとするかはその時によって変わるのだろうけれど。この自己同化ですが、自己を他のものと同じように見るというのではなくて、自分以外の他のものを自分だったら・・・というように見るということです。たとえば、村の外れの道ばたに一本の杉が立っていたとします。「一本で寂しそうなので、もう一本植えてやろう」、「いやいや、あの杉は子どもたちや旅人を見守ってくれているのだから一本でも寂しくないのさ」。

さて皆さんならばどのように考えますか。「木に気持ちなどあるものか。枯れたって木さ!」という人もいるかもしれません。

先の二人は杉を自分の気持ちとして考えているということが分かります。多くの日本人はこの二人のように思っています。無機質的な樹木に対してでもそうですから、ましてや生きている動物に対して感情移入することは十分考えられます。

それが、日本人特有の「かわいそう」に繋がります。自分だったら・・・という思考方法です。もっとも最近はそのようなことも薄れつつあるような気もしますが。

 

今からおよそ十年前にモンゴルに行ったときのことでした。彼らの住居はゲルと呼ばれる移動テントです。山羊、羊、馬、ラクダの群れを引き連れて、草を求めての大移動。モンゴル犬という犬もその中に含まれますが、どうもその犬らは飼育されているのではなさそうです。犬好きの私がその犬の頭を撫でていたら、モンゴル人の通訳が「触っちゃダメ!!」と飛んで来ました。「何で?」と問う私に彼はこう答えました。「噛むから」。なるほど真理です。犬は噛む。噛まれれば狂犬病にもなる。大地が陸続きのこの地では狂犬病に罹る可能性も十分考えられます。ではなぜこの犬たちはここにいるのか。この犬たちは人の生活から出る残飯の整理と狼対策(狼が来ると吠える)の為にこのゲルの周りで生活することを許されているだけなのです。

こんなことも。他のゲルに行った時に子どもが自分のペットを見せると言って走って外に出て行きました。帰って来た彼の腕に抱かれていたのは生まれたばかりの羊の赤ちゃん。その時に私はふと思ってしまったことがあります。でも大きくなったら食べるんだろ・・・。

 

「牧畜文化」。世界を制覇したこの「牧畜文化」は日本では育ちませんでした。急峻な山と谷がその文化の流入を拒んだのです。そのため、去勢につながる動物管理も日本では育ちませんでした。

海外では猫の前足の爪を除去することもあります。室内で飼育するため家具を傷つけないように。

家畜の存在は自己の利益の為にあり、不利益には繋がらないのです。家畜化は自分(人類)を犠牲にすることからは始まりません。羊の子が可愛いからといって食べずに自分の命を落とすことなどもありません。

 

去勢すべきはどうか。それは自分の思いであるほかありません。可哀相と思えば(自己犠牲は必要ですが)しなくてもいいし、その自己犠牲が自分の生活に支障をきたすならば去勢もありでしょう。

 

しかしこのような家畜よる自己犠牲というのはたぶん日本以外の地域では理解できないでしょうね。

日本の動物に対する感覚は世界の感覚とさほども違いがあるのです。

 

日本の文化は奥が深い・・・。

 

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