到津の森公園

名誉園長の部屋 公園だより

心を感じる。心で感じる。

 旭川市の旭山動物園が「行動展示」をしていることを動物園好きの方は誰もが知っています。かつては展示方法に確乎たる主張もなく、なんとなくこんな感じと動物展示をしていました。羅列展示とでもいうのでしょうか、動物を入れた檻が並ぶという展示方法が主流でした。また地球を南米、アフリカ、アジアなどエリアに分けて、そこに生息する動物たちをその環境を模した中で展示する生態展示という手法もあります。それはサファリ形式の動物展示に類似しています。しかし動物の姿(形)ではなくて動物本来の行動を見せたいという旭山動物園の考え方は今までの手法と全く違ったものでした。それ故、多くの注目を浴び今に至っています。

 私たち到津の森公園のスタッフはよくこのような質問を受けます。「到津の森公園は行動展示ですか。生態展示ですか」。実は到津の森公園はそのどちらでもないのです。むしろそのようなカテゴリーからはみ出た存在ともいえます。いえ、そのカテゴリー分けにそもそも無理があるのかもしれません。

 到津の森公園の目指す一つの姿に日本の庭園があります。李御寧はその著書『縮み志向の日本人』の中で日本の庭を「纏足(てんそく)された自然」と言っています。日本の庭園は外国の人から見ると手が入りすぎていると感じるようです。「もっと自然は自然であるべきではないか」と。しかしながら、日本の庭の文化史あるいは茶道や華道の文化史からみると日本人は決してそのような捉え方をしていません。人の手を入れることにより、より心の自然に近づくのだと思っているようです。つまりそのままの姿をそのままに受け入れるより一度自分の心の中に仕舞い込み、それを自分なりに整理し理解しようとしているように思います。つまり自然(周りの環境)も自分の心で理解するものだと。纏足された自然の典型と言われるものに盆栽や箱庭があります。これとて日本人は纏足されていると思ってはいません。この小さくなった自然にこそ、それを凌駕する雄大な自然が存在すると信じているかのようです。つまり見手の心に訴えているのです。小さくするということは何も矮小化だとするデメリットばかりではありません。むしろ日本人はこの小さくすることに力を注いできたとも言えます。それは心を感じるよう、あるいは心で感じるように仕向ける行為かもしれません。

 日本人がたどってきた歴史は心を最重要視する文化史であったろうと思います。心は情ともいいます。情は美に繋がるものです。

 行動展示や羅列展示、生態展示というカテゴリーにとらわれずに心で感じる展示の方法があったとしても、日本では何も不思議ではないと思うのですが。

 どうしても何とか展示という言葉が必要なら「感観(感じて観る)展示」。う~ん、カンカン踊りや官官接待のようで今いちだなあ。 

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