到津の森公園

名誉園長の部屋 公園だより

家畜と野生動物
「ブタとおっちゃん」 山地としてる FOIL 

 先日、デンマークの動物園でキリンを殺処分してライオンなどの餌にしたという記事が配信されていましたね。動物園関係者としてはどのようにとらえたらいいのだろうかと悩んでしまいました。

 昨今、日本の動物園ではキリンの調達が難しくなり、キリンが死亡した後に導入ができず、動物舎は空のままという動物園もあります。そのような動物園からすれば「ぜひください!」と喉から手が出る思いではなかったでしょうか。もちろんヨーロッパからの輸送ではかなりの金額が必要になりそうですが。

 ともあれ、動物園での飼育動物が家畜と同じように考えられているようでショックを受けたのは事実です。私たち動物園人としては動物園で飼育される野生動物は野生下に戻せるという意識で飼育していると思っています。いわゆる域外保全です。欧米でも同じような感覚で希少動物を飼育しています。キリンは希少動物ではないのでしょうね。

動物を飼育する感覚は、欧米の人々と日本人との違いに驚くばかりです。家畜と野生動物との意識差は、特にそう感じます。イルカの捕獲、食用に欧米は敏感に反応します。野生動物(しかも言語を持っていると思っている。言語らしい言語は持たなくても伝達手段はどの動物でも持っているのだけど)を殺して食べるなどもってのほか!との意識です。それに対し、日本人は欧米人だって牛や豚や羊を殺して食べてるじゃないか!と反論します。南氷洋の調査捕鯨は中止となりましたが、この論争は平行線をたどり決着しそうにもありません。

 日本では牧畜を伴う農業はあまり育ちませんでした。いわゆる非牧畜農業です。その習慣が長かったためか、あるいはまた宗教的な忌避かどうかは別として、獣肉食は盛んにならずに近世に至っています。また牧畜農業圏で行われた牛や羊、山羊などの家畜に至る野生哺乳類の改良は原種が特定できないほど頻繁に行われました。非牧畜農業圏では獣ではなく野生種の植物にその改良(もしくはセレクト)、あるいは栽培環境の改良に重点がおかれました。その文化的、歴史的差異は動物の死生観をも決定づけたと私は思っています。

 日本においては家畜も野生動物もそして人間すら同じ命を持つ生命体との意識を持っています。しかしながら植物や魚に対してはそのような深刻な考え方をしないようです。では欧米の考え方を少し距離をおいて見てみましょう。家畜もかような歴史を経て、私たちの稲と同じように主要食糧として確保してきました。つまり家畜は食料としての生き物で、野生動物は地球とともに人間と生きてきた同僚としての生物という認識とは違い、宗教的にいえば神が与えたもうたものなのです。

 私たちが稲(米)を感謝しつつ食するのと同じように欧米の人々も家畜を(神に)感謝しつつ食するのです。しかしそれは当たり前のこととして。

 こうして考えるとどちらの考え方が正しくて、どちらかが間違いということがないような気がします。どちらもが幾分ひいて双方1両の損という訳にはいかないものでしょうか。

 宮崎大学の森田先生からこのような写真集をいただきました。先生の家宝にしている本だそうですが。いや~、このおっちゃん、日本人らしいといえば日本人らしい。

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