到津の森公園

名誉園長の部屋 公園だより

アライグマはなぜ洗うのか仮説

不思議に思っていることはたくさんあって、何かの拍子にハッと気づくことがあります。

今回はそのようなことについて書いてみました。

文体は論文形式(あくまでも形式ということで)にしました。読みにくいかもしれませんが、お付き合いください。ちょっと長いですよ。

 

「アライグマの手洗い(餌洗い)行動仮説」

1、本稿の主旨

 本種は北米を原産とし、多くの動物園で飼育され、かつ丸々とした体躯、餌を洗うしぐさで人気であるばかりでなく、かつては「アライグマ ラスカル」いう人気アニメの副主人公として登場し、ペットショップの店頭に並び、家庭内でも多く飼育された種である。

 当園でも到津遊園の時代から飼育され、現在(2017年7月31日現在)もなお6頭飼育している。飼育開始から本種の際立った特徴として四肢、特に前肢の手間接より前、つまり人の手にあたる部分に明らかな被毛を持たず、裸出している。このことは、アライグマの名称通り、手を洗う、もしく餌についた不純物を洗い流すために、手の感覚を鋭敏にするためであるというのが一般的ないわゆる常識であった。本種と同程度の大きさを持つ、タヌキ、キツネ、アナグマにおいては爪の部分や肉球部分を除き毛に被われている。家畜のネコやイヌでも同じである。本種のみが裸出することで、アライグマたる行動と食性をうかがえる顕著な特徴である。そのように考えられてきた。

 本稿は、この手洗い(餌洗い)行動の理由を推定することにある。

2、アライグマの手洗い(餌洗い)行動にについて

 この行動が見られるために、アライグマと呼ばれているほどである。動物園では数々の餌を与えている。例えば鶏頭、リンゴ、ふかしイモ、バナナ、ミカン、固形飼料(ペレット)などである。その日の状況によって与える飼料の量の変化はあるが、凡そ、そのようないわゆる雑食的な飼料を提供しているといえる。極たまに、周辺で捕獲された昆虫、爬虫類、季節の果物(あるいは成り物)を給与することもある。

 また特殊な餌として、薬剤入りの餌を給与することもある。対象餌に散布、あるいは内蔵し投薬する。

 このような通常使われる餌においても餌洗い行動が発現する。しかし、発現しないこともある。鶏頭給与時は発現しないが、薬剤散布飼料は必ず発現する。同じリンゴあるいはミカンにおいては発現する場合と発現しない場合がある。

 ある獣医は聞いた話としてこのようなことを言っていた。「動物園でしかこの手洗い(餌洗い)行動が発現しないので、これは常同行動である」。むしろこの行為が常同行動であるのなら、なぜ本種に手洗い(餌洗い)行動という特殊な行動として普遍化し常態化したのか。常同行動であるのなら同じような発現をせずに、他の形での異常行動もあって良いのではないか。本種の持つ手洗い(餌洗い)行動を異常行動と定義せず、本来の生態的な行動が、あるリリーサーを介して発現したと解すべきではないだろうか。普遍化された行動は、獲得されたものではなく、遺伝子上に乗った生来的な行動だと思われる。

ではなぜこのような行動が発現するのであろうか。あるいは発現しないのであろうか

3、行動の発現

 2項で記述したように、同じ餌でも手洗い(餌洗い)行動が発現する場合と発現しない場合がある。一つは個体差である。同じものを与えても、ある個体は手洗い(餌洗い)するが、ある個体はしない。動物には個性があり、同種のものであってもその個体差が生じる。懐き易いイヌもいれば、懐き難いイヌもいるのと同じである。その種がもつ大きな生活行動や生態的な活動はほぼ同じでも、その内容は個々の動物によって性格の差がある。シャラーは「ライオン、忍び寄る黄金の陰」の中で、生涯雄の群れの中で過ごす雄がいると言う。雄は常に雌のプライドに侵入し、自分の子どもを残すというものでもない。何もあぶれているからではなく、そのような生活が自分にとって良いと判断したからであろうが、そのような個体差は、あまりセンセーショナルでないために取り上げられることも少ない。それが個性である。話を本種に戻すが、当園の飼育員の話によると、固形飼料(ペレット)でも洗う個体と洗わない個体がいるとのことであった。しかも洗う個体は、ペレットが無くなってしまうまで洗うこともあるという。ここでも本種の個体の個性で洗ったり洗わなかったりするということが分かる。個性と言うならば、洗わない個体と洗う個体が出てきても何も不思議ではないが、洗わない個体が洗う時とは何かということの方がより、本稿の目的に沿っていると考えられる。

 当園の獣医の話によると、薬剤を散布した餌は必ず洗うということであった。このことは何を意味するのか。

4、手洗い(餌洗い)行動のリリーサー

 実はこのことが、本稿を記す理由となっている。以下にアクセスして欲しい。

https://kj-mochida.jimdo.com/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/手洗い

 これは慶応大学の持田浩治氏のHPであるが、本種のこの手洗い(餌洗い)行動に対する研究は、京都大学の研究員であった時のものである。概要を述べると、アライグマ(日本に棲む野生化したアライグマ)は、イモリを食する時、地面にこすり付けることにより、イモリの毒を減少させ食している(彼はこれを「毒餌こすり行動」と名付けている)。実際にこのような経過を経るとイモリの毒性が減じていることも発見している。毒を持った小動物は多く、このような小動物を食するためのアライグマの行動は実に理にかなったものだと言える。彼はこれを「毒によって身を守っている餌動物への対抗テクニックの1つ」としている。

 このことは何を意味するのか。動物園での薬剤入りの飼料を洗うことと同じような行動ではないのだろうか。つまり、彼らは、臭覚(たぶん)あるいは経験上、食べ物のその表面に付着した異常なもの(例えば、毒、あるいは食せないものである泥、土、砂)があるために、ある程度までそれを減じるために手洗い(餌洗い)行動と思われる行動を呈する、と考えられないだろうか。

 つまり、表面に付いている(と思われる)異物が本種の手洗い(餌洗い)行動のリリーサーとなっていると考えられる。

5、手掌の被毛は何故無いのか

 本種の手洗い(餌洗い)のリリーサーが異物(毒など)の除去ということに納得しても、裸出する手掌に関するものとは別に考えなくてはならないかもしれない。しかし、このことも上記した異物の除去をするということと関連性があると思われる。本種は、飼育下においても、池や水たまりに手を浸け、周りの石を探ったりするし、石を探らないまでもただ浸けたりもする。この行動は単なる異物の除去のために手洗い(餌洗い)行動があるのではないことを示している。先に述べたように、この手洗い(餌洗い)行動が「動物園での常同行動」と言われる起源は何だろうか。

 本種は環境に対する順応性が非常に高いと考えられ、それ故に逃走個体が日本中に生息し繁殖していると考えられる。動物園の飼料に見られるように本種の食性は、雑食と思われ、それ故に家庭のごみあるいはいわゆる里山の廃棄物を頼りに生きていけるのであろう。野生下で手洗い(餌洗い)行動が見られないというのは事実であろうか。たぶん、本種は、雑食性であるがために、ヒトの生活域の近くでも十分に生息が可能となったのであろう。しかし、そこで手洗い(餌洗い)行動が見られなかったから、これらの行動は、動物園特有の「常同行動」であるとして良いのであろうか。

 少なくとも、常同行動というのは、自然な生態下で見られない異常行動であると定義されるべきである。自然な生態下というのは本種が進出した新たに創出された環境ではない。もしそれが自然な環境であるのなら、私の述べる本稿が成立しなくなる恐れもある。

 先に、表面に付着した異物を除去するだけであるのなら、持田氏が言うように地面に擦り付けるだけでも良いのである。しかし毒は除去できても、たくさんの泥が付着すればまた洗う行動が発生するかもしれないが。実は泥や汚れは、自然界に多くあるので、食べられないほどの泥が付着したのであれば別だが、個体差はあっても、多少のそのような無毒の汚れは気にしないであろう。また、実際に川辺や池の傍でカニなどの小生物を食することもあり、そのようなところでは明らかに手洗い(餌洗い)行動と思われるような行動が散見されるだろう。それとて手掌の裸出は説明できない。

6、手掌の裸出と本種の本来の餌を推測する

 本稿の仮説として、重要な部分である。

 何度も繰り返して申し訳ないが手洗い(餌洗い)行動が「常同行動」であるという証左は何だろうか。それは現在の生息地においてそのような行動が観察できないということだろうか。市街地あるいは耕作地、あるいは人里のごみ集積地に進出する本種は、もともとそのような環境を持ち合わせていたのではない。そのような環境が創出されたのは、どのように長く見積もっても200年前である。本種の歴史的由来は、詳しくは知らないが少なくとも進化論上では数十万年前からこのような形態を示していたと考えられる。本種の本来の生息地は、実は草地や市街地(もちろん数万年前にも存在しなかったであろうが)ではなく、水辺が主な生息地であったと推測される。これが本稿の主旨である。本種は水辺というかなり特殊な環境で生息し、他の動物とのニッチを調整し、生き残りを計ってきた。そこでの食性は、水辺の生き物であった。それ故に本種の手掌に毛を欠くのである。すでに記述したが、草原や森林に棲む同様な体形を持つ種に手掌の毛を欠く種は見当たらない。水辺、主にその周辺といっても水の中(浅瀬)の生物を探索し、採食していたものと思われる。このような食性を持ち発達した動物は、本種以外にないかもしれない。故に、手掌は裸出し、指先が鋭敏になるとともに、被毛あるが故に乾きにくいということから避けることができたと推論できないだろうか。そこで主に食していた生物が、実は毒性の多いカエル、ヤモリであったろう。本種はそのような生体に付着した毒素を除去する手段として、手洗い(餌洗い)行動が発達したと思われる。それはどのような物にも適用される。例えば、農薬の付いた果物や野菜もそうであろうし、あるいは人の手で造られたペレットの類もそうである。もちろん薬剤の散布された飼料は尚更である。本種の臭覚は、手先の鋭敏さ以上に鋭いものと思われる。なぜなら本種はそのよう生きてきたからである。

7、仮説

 本種アライグマの手掌の裸出は、本種の歴史的な生活環境とその食性からきているものであり、手洗い(餌洗い)行動はその環境で採食する生物の特徴を示しているものと思われる。本種は、非常に動物食の傾向の強い食性をもっていたと推論される

8、追記

 もしこの仮説が妥当であるのならば、 本種を動物園で展示をする場合、かような水辺が必須となる。エンリッチメントとして、構造体としても

 もう一つ、追記しなくてはならない。

 それは解剖学的なことである。手掌に被毛を欠くことも解剖学だが、進化論でもあると上述した。実はこのニッチを本種が獲得したのも、そこに斯様な餌を利用できたからで、であるなら、本種の消化系もそのように進化しているはずである。例えば歯式や形状、口腔、腸管及び消化酵素等々。それらが湖沼、あるいは河川に生息する生物を食するに必要なシステムとして成り立っていてこそ、この水辺で生活の道を見つけたのが本種であると確定することができる。仮説はこのような統合的な論証を必要としている。

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