園長の部屋 公園だより

春 最中
シモクレンとカメムシ

 最中(もなか)ではありません。さなか、です

 一年ぶりのブログ更新。新年度を迎え過去を清算して心新たに再出発の4月。

 あまりのお天気のよさに小さなカメラを持ち出して園内散策。遠足の幼稚園児に交じってのろのろと歩み、動物舎の間にある草花の写真を撮っていたところ思わぬお客さんを撮影。暖かいからなあ。

 

 最近ちょっと、気になっていること。facebookやLINEなどに多くの方々のコメント(それほど大きな文章でないのですが)を読ましていただく機会があります。確かに話し言葉でしょうから私などが目くじらを立てる必要もないことだとは思います。話しているだけならば忘れることもあるでしょう。しかしこのように何かに載ってしまうとなかなかその言葉を取り消すということができなくなってしまいます。

 私が気になっているのはこのような言葉です。「くそ・・・」「ばか・・・」。修飾なしの言葉には何かしら寂しさを感じます。「くそ・・・」という前に何かほかの言葉に置き換えるということは考えつかなかったのでしょうか。問答無用とばかりに一刀両断された相手の気持ちを考える余裕はなかったのでしょうか。言葉遊びをする必要はないとは思います。が、少なくともそのような思いやりが日本の豊かな表現方法を支えてきたものだと思います。

 日本の言語は徐々に単純化されてきたといわれます。これからもますますその方向へ進むのでしょうか。

 崔世廣は「『意』の文化と『情』の文化」という論文の中で「日本人からすれば、情を生み出す実体は心であり、それは感動として表現される。感動がなければ情ということはできない。情は人間と自然、人間と人間の調和にとってもっとも重要で欠かせない内在的媒介である」(中公叢書)と述べています。

 心とはその多様な感情を表すもの。私は思います。多様さ、もしかしたらこの多様さほど私たち日本人がもっとも大事にすべきことではないだろうかと、決して「くそ・・・」と一言で切るということではなく。

 

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