到津の森公園

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イルカ問題について

 たぶん、日本中の動物園の園長も水族館の館長も微妙な問題なので公式の見解は述べたくないかも知れません。そう思いながら、でも私は、言わなくてはと思っているのです。誤解もあるかもしれません。この問題を語るに千数百の文字では足らないからです。私が弁解から論じようとしていることをすでにお気づきのことと思います。そのくらい微妙な問題。

 

 数年前から日本動物園水族館協会は動物園・水族館を「いのちの博物館」と銘打ったシンポジウムを展開しています。今年の総会の決議文にも「いのちの博物館」という言葉が見られます。

 動物園も水族館も多くの問題を抱えています。動物園も今では野生から動物の補給(捕獲ですが)も少なくなりました。その中でも私たちの記憶に残るものがあります。ゾウとゴリラ。ゾウはあの大きさですから輸送に多くの費用を要します。でも子ゾウでは成獣ほどではないと容易に理解できます。勢い多くの動物園で子ゾウとまではないにしろ小さなゾウが輸入されました。それもほとんど一頭で。ゴリラの成獣は新しい食べ物や環境に馴染まないため、こちらはほんとに小さな子ゴリラが連れて来られました。ではこれらの子どもたちはどのように捕獲されたのでしょうか。その様子は想像するしかありませんが、少なくとも孤児でなければ親のいる群れを排除しなくては子どもを得ることはできません。わずか一握りの子どもを得るためにどのくらいの犠牲があったのでしょうか。

 最近のことではありませんが、何百年も前のことでもありません。

 しかし結果的には最近でも同じようなことが繰り返されていると思っています。ゾウを単独もしくは同性で飼っている園では繁殖はないのですから、厳しい言い方をすれば使い捨てているとも言えます。私の園もそうだと言えます。では雄雌二頭で飼えばいいのかというとそうでもありません。以前私の園でミルクを与え大きくした二頭のチンパンジーがいました。しかし彼らは交尾もしなければもちろん繁殖もしませんでした。つまりこれらの動物のように社会性の高い種は少なくとも数頭、多ければ十数頭の個体がなければ彼らの経験値をあげることができず、繁殖に至らないことが多いのです。例え偶然に繁殖したとしても同一の雌(あるいは良い雄がいる)からの繁殖で、もしこの個体を欠くとその園での繁殖が止まってしまうという危険性があります。

 私たちは「いのちの博物館」といいました。少なくとも次代に繋ぐ命が必要です。これからの動物園や水族館のすべきことは命の使い捨て、ではありません。命を繋ぐ子どもたちを増やそうとする努力ではないでしょうか。

 私たちにゾウやゴリラやそしてイルカが見たいという欲求はあったとしても、それらが次の子どもをそして孫たちを産める環境を整えてやらなければならないと考えます。そうすれば私たちの周りからゾウやゴリラやイルカを失わずに済むのです。もっと言えば増えた子どもたちの子孫はまた自然という環境に返してやれるかもしれません。

 実は世界動物園水族館協会は私たち日本の協会に対し動物園、水族館はそうあるべきではないですかと問うたのです。決して日本の鯨肉食文化を揶揄したのではなく。

 イルカ問題は何も水族館に限定されたことではありません。ますます失われていく自然環境をどのように保全するのかという私たち動物園、水族館の姿勢(哲学と言ってもいいかも知れません)が問われているということなのです。

 

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