到津の森公園

名誉園長の部屋 公園だより

コピー&ペースト

 オリンピックのロゴ問題が個人問題の様相を呈し、あらぬ方向へ向かってしまったかの感さえあります。

 デザイン界の人間ではないので詳しいコメントを述べるほど知識もありません。でも動物園も同じような世界なのかなという感じがします。つまりオリジナリティの追求ということに関して。

 オリジナリティは、アイデンティティとつながるものだと思ってはいるのですが、このアイデンティティを保つ、あるいは確立をするというのが本当は、非常に困難なのです。

 「私はここにいる」。「私はこのようにして生きている」。「これが私です」。

 個々をみると確かに人の顔はみな違います。また考えていることもみな違うのですが、では「あなたはどのように感じ、どのように行動したいと思いますか」と問われると「みなさんと同じです」と答えがちです。自分だけ異なっているということの孤立と不安。また異なっているということの説明の困難さ。

 個々はオリジナリティ溢れると感じているのにそのオリジナリティ、アイデンティティを確立することができない。

 動物園ではどうでしょうか。どこそこのレッサーパンダが立ちました。「それ、うちでも立ちます」。どこかの施設が有名になりました。「それ、うちにも同じものをつくりました」。誰もが不思議に思わない現象です。振り返れば山のようにあります。隣がこんなものを買った。私も買わなくちゃ。思い当たることはありませんか。一般的な社会現象的な出来事をさも特異なことのように思っていますが、周囲を見渡すとそのようなもので溢れかえっています。コピーしてもいいとそれを正当化しようという気はさらさらありません。

 実は、旭川の動物展示施設が評判になった時に、ある公的な役を持たれた方が私にこう言いました。「旭川の園長とお友達なんだから設計図を貰って造れば、到津も評判になるのに」と。果たしてそうでしょうか。その時の私の答えはこうです。「形を真似しても何も私たちに得になりません。形はやがて忘れられたり、飽きられたりするものです。もし私が彼の真似をするのならば、なぜそのようなものが必要だったのかという心に類するものです。その気持ちを真似たいです」。

 子どもが親の真似をするように、真似をするということはある意味進化の一過程かもしれません。しかしその中で自分が成長し、その真似に変化を加えるからこそ文化と呼べるものになっていくのではないでしょうか。

 オリジナリティを保っていくこと、アイデンティティを守りつづけることはたゆまぬエネルギーを必要とします。

 「私はここにいる」というのは信念に近いものかもしれません。あるいは生きるという哲学かもしれません。しかし、私が「私」であるためにとても重要なことです。そしてあなたが「あなた」であるためにも。

 生きるということ、コピペでは無理です。

 難しいですね、生きるということは。

 

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