到津の森公園

園長の部屋 公園だより

20歳になって

新年明けましておめでとうございます。

ほぼこの2年間「コロナウイルス」に振り回されていました。今年こそは2年前の生活が戻りますようにとお願いをしました。しかしその先行きもやや不透明ではありますが…。
とは言え、新年にあたり気持ちを切り替え、ポジティブに生きていきたいと思います。

到津の森公園は2002年4月13日に生まれました。今年は20歳になります。大人の仲間入り。開園時に植えた小さな木々も立派な樹木に育ちました。その木々は20年の歩みをみつめています。

市民の憩いの場になったのだろうか。市民の生活を豊かにする場になったのだろうか。動物の生活が豊かな場になったのだろうか。自然界の不思議や動物を取り巻く自然環境の脆さを市民に伝えられる場になったのだろうか。

改めて動物園の役割を考えています。獣医の学校を卒業し、動物園という世界に足を踏み入れ50年という歳月が流れました。その間に様々なことがありました。北九州は東南アジアの窓口でもあり、様々な船が帰ってくるところでもあります。船員さんの長い船旅を癒すために現地で購入した多くの生き物が北九州に運ばれてきました。大きな「オランウータン」もいましたが、多くは小さなサルでした。当時、「到津遊園」は日本でも最も多くのテナガザルを飼育していました。すべて船員さんが持って帰ったものです。しかし、そのようなテナガザルは子どもを産むことがありませんでした。種類も違えば、大きさも異なっています。唯一繁殖したのはフクロテナガザルでした。私が「到津遊園」に勤めて2年目くらいだったでしょうか、1頭の小さな雄のフクロテナガザルが持ち込まれましたが、この子は腕が折れていました。名医(迷医とも言いますが)の私は骨折を治し、前から飼育していた雌のフクロテナガザルと一緒にしましたが、その子が繁殖年齢に達するまで10年もかかりました。初めて生まれたフクロテナガザルが今も到津の森公園に居ますし、なんと骨折が治ったテナガザルも健在です。やがて彼は50歳になります。到津の森公園の最年長です。人間を入れれば私が最年長!

悲しい出来事もたくさんあります。「到津遊園」に入ったときにオランウータンの子どもがいました。この子を大きくさせることができずに死亡させたことは今でも忘れることができません。今到津の森公園にいるゾウの前に1頭の雌のゾウが居ました。このゾウが死亡したときも力のなさを実感しました。生きているものは死を逃れることができません。しかし飼育員の愛情を受けたこの動物たちに一日でも長く楽しい思い出をつくるのが私たちの役目だと思っています。

今、動物園には様々なジレンマがあります。一つは「動物たちの幸せ」です。少なくとも今の到津の森公園は小さな檻ではありませんが、それが彼たちに十分な生活を提供しているのだろうかと考えることは無駄なことではありません。より良い環境の提供はこれからの動物の福祉のためにも必要なことです。以前の動物園は鉄筋とコンクリートで囲まれた牢獄のような檻でした。彼らのことを考えると(自分に置き換えても同じですが)、嫌なものから逃れるところが必要です。もちろん好きなところに行くことも必要です。日差し、寒さ、暑さ、雨、風などをしのぐ場はあるのか。抱きしめてくれる母や父、兄弟はいるのか。過去の動物園はただ1頭の動物を見世物にしていただけでした。長く動物園に身を置いていた私ですら気が付かないことがたくさんありました。

この地球は人間だけのために回っているのではありません。全ての生き物、植物にも平等です。動物は人から見られるために生きてきたのでもないのです。過去、動物園は人に供覧するために動物を野生の場から連れてきました。すでに野生の場ですら、彼らの生存は危うくなっています。かつてあった動物園の状態を未来に繋ぐことは不可能です。そう考えると動物園の役割は終わったのかもしれません。

そうではありません。終わったのは過去動物園が引きずってきた見世物小屋としての役割です。
将来あるべき姿の動物園とは何だろうか。
先に述べた「動物の幸せ」が一番かもしれません。だとした、彼らは異国に連れてくるべきではなく、現地で生活させるべきです。たとえそれが過酷な自然環境だとしても、彼らはそのように進化し適応してきました。残念なのは人類の発展が急速にその生息地を侵襲していることです。万年単位といわれる動物の進化はその急激な変化に対応できません。やがて、野生動物のいない環境が出現する可能性があります。日本でオオカミやカワウソがいなくなったように。自然環境のバランスが崩れ始めることも十分に考えられます。地球上からホッキョクグマやゾウなどがいなくなる可能性はとても大きいのです。

「動物園のあるべき姿」。
長く続くと思われた地球の自然は人類の文明の発達とともにその脆弱さが露見してきました。その警鐘は誰が鳴らすのか。大学の研究者はそれを国民に伝えようとします。しかし、限られた国民(大学生)しか影響を与えることができません。動物園には年間7千万人をこえる人々が訪れます。すべての人々が知識を得ようと来園しているとはかぎりませんが、良いツールと良い環境があればそのような学習は不可能ではありません。いくら「動物の福祉」や「動物の幸せ」をうたっても動物園の動物の環境が変わっていないのでは、それは絵空事でしかありません。
その姿が少し見えてきました。「動物の野生下での生活を再現する」環境が必要です。それは動物に多くの行動の選択肢を与えます。寒いところから暖かいところへ行くことができる。雨風を凌ぐことができる。嫌な動物から逃げることができる。好きな相手と一緒にいることができる。この「できる」環境を提供することから次の姿が見えてきませんか。
それは脆弱な地球環境への配慮です。手をかけなければ崩れてしまうような環境が私たちの周りにあります。それ考えるためにも動物の良い環境が必要になります。動物に関係する人や研究者がスライドを使って授業するのではなく、市民とともに考える「場」が必要です。それは多くの人を巻き込むことができます。人はいつまでも同じところに立っているのではありません。人は「ホモ・ディスケンス(自ら学ぶ人)」です。子どもばかりが成長するのではありません。大人も等しく成長します。

最初にお伝えした動物園の第一番の目標は「動物の幸せ」でした。第二番の大きな目標は「私たちの成長」です。到津の森公園の木々を背にして20年の歩みを見てきました。

「成長」したのです、公園も私たちも。

 

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