動物たちのおはなし 公園だより
第2回のブログで自然塾の第1回の活動でつくった小さな森水槽の変化「消えたゴミ」についてチラリと紹介しました。(前回の記事はこちら)里のいきもの館にきて、小さな森をのぞいた人たちは、どんなことを考えながら見ているのでしょうか?
今回は自然塾担当のくどうの目線で何を思ったかについて。
ゴミが消えたときは、まず「えっ」と驚きました!同時に水槽に「このゴミは子どもたちが森から見つけたものです」等なにか説明しておけばよかったなぁ…とも感じました。そして子どもたちにこの件についてどう説明しよう?子どもたちはどう感じるだろうか?と考えました。
第2回の活動の時に、子どもたちに「小さな森」からゴミがなくなったことを伝えました。そうすると「悲しい」「ざんねん」という子たちがほとんどでした。小さな森水槽にいれていたゴミは、水槽を作った子どもたちにとっては森の一部であり【大事なもの】でした。でも、知らない人からするとゴミは【要らないもの】に見えたのかもしれません。
考えてみると、生活の中にも同じようなことがあるなぁと感じました。
例えば、草ボーボーの草原。歩きにくいし、人も入れないし、虫湧くし、手入れ大変だし…人にとっては「ジャマな草」「手入れが大変な場所」「使えない土地」かもしれません。でも、そこからはよく鳥の声が中からしたし、謎の生き物の巣もあった、とにかくバッタがたくさんいた。そして大人のわたしがよくそこで遊んでいました(笑)。
今そこは大きな道路になりました。便利になり人にとっては役立つ場所に変わったわけです。車の交通量も多く、今まで遠かったところが近くなり、便利になりました。でもそこでくらしていたいきものにとってはすみかを失ったことにもなります。そして、わたしにとっては遊び場というくらしの一部を…。
どっちの立場が「良い」「悪い」とは言えません。
草原も見る人によっては【不要】にも【大事】にもなりうるのです。
子どもたちにもうひとつ質問したことがあります。
じゃあゴミが森にあることは?「本当の森」からゴミが消えたらどう思う?
と問うと反応は異なります。
―ゴミはないほうがいい。
自然の中なら何百年かかっても消えないゴミは人の手にかかれば、すぐに消すことも可能なのです。
それは水槽の中だけでなく、本当の森の中でも…。
わたしはそんなことを考えながら、今日も水槽を観察するのでした。
自然塾担当:くどうさくらこ