到津の森公園

名誉園長の部屋 公園だより

ほんとうにそうなのだろうか?

私たちの世界(動物園など動物に関わる世界)はこの数年で大きく姿を変えています。その要因は様々でしょうが、その中でも大きなものは「地球環境」と「動物福祉」ではないでしょうか。

かつて地球は様々な生物を生み育てて来ました。しかし、その地球はこの百年で大きく姿を変えようとしています。一番の原因は高度な経済活動からの温暖化かも知れません。その温暖化の影響も多様ですが、かの大国であるアメリカは温室効果ガスによる温暖化の影響は少ないと見積もり、ガス排出の削減に消極的な態度を取っています。例え影響が少ないとしても、「かもしれない」影響を少なくする努力は必要なことではないでしょうか。それは先のCOP25での日本の態度が世界の趨勢から見ると消極的と判断されてしまうことに繋がり、長期に渡るとはいえ「今すべきこと」への言及は必要なことだったかもしれません。

「今すべきこと」とは何でしょうか。少なくとも化石燃料からの脱却に向けての積極的な取組みを数字で示すことと、地球の温暖化を防いでいると思われる「緑の保全」に向けての取組みへのコンセンサスを得ることではないでしょうか。地球の温暖化は、私たちの生活に今すぐに直結するものではないかもしれません。しかし近い将来それを原因とした災害がないとは言い切れません。様々な形で人の生活(そして地球上の全ての動物たち)に悪しき影響を与える「かもしれない」現象を未然に防ぐ知恵を人々は「英知」と言います。

もう一つは「動物福祉」です。このような多様な動物への「福祉環境」は全ての人々にも重要な事です。個性の輝きは何よりも尊いからです。先にここ数年でと書きました。本当にここ数年で動物に対する「福祉」環境への考え方は大きく変わりました。一番大きなインパクト与えたのは「イルカ問題」であったかも知れません。野生下のイルカの研究は、近代科学機器の使用も合わせ、格段に進歩しました。その結果、イルカが高度な社会性を持ち、個性といわれるような特徴を持っていることが分ってきました。それ故に小さな水槽で飼育されるイルカに非難の目が集中されることになったのです。

それと同じことがゾウでも言われています。アフリカのサバンナのゾウの研究が主だとはいえ、数々の研究が残されています。ゾウは雌をリーダーとし血縁をベースした大きな群れで生きています。子どもはその大きな群れの中で生活し、数々の知恵を学んでいきます。子どもは社会での学習がなければ生きていけません。それは人間とて同じことです。群れは様々な年齢層で構成され、子どもはその様々な年齢の個体から学びます。特に兄弟姉妹は重要です。雄の子どもは10歳位になり、母親の群れから離れますが、雌の子どもは終生母親のそばから離れないと言われています。ゾウの群れ(母親を中心とした群れ)はそのような強い結びつきを持っています。(実例を上げましょう。実はゾウではないのですが、到津の森公園から2頭のチンパンジーを他の動物園へ提供したことがあります。これらは姉妹なのですが、子どもを産んだ時に、叔母さんにあたる妹がとても良く面倒を見たという報告を受けていますが、逆に1頭しか提供できなかった動物園からは不安がっているという報告も受けています。彼女らがいかに社会性の高い種であるのかが分かります。これからはどのような組合せで提供するのかが重要です)。日本の動物園では最近になってゾウを複数頭の群れとして飼育するようになりましたが、海外ではゾウには少なくとも7頭から10頭の個体数が必要なのだと言われています。その主張のベースになるのが「福祉」です。「福祉」の定義が必要かもしれません。様々な定義があるとしても、少なくとも以下のようなことは外せません。それが「行動の多様な選択肢の提供」です。動物を飼育する環境が広くなれば、「福祉」は改善されるといいます。ただ広い(量)だけではなく質も要求されます。最近言われているのは体温を調節する物理的な環境として「太陽」と「風」が取り上げられています。「太陽が当たり、風が通る場」、「太陽が当たり、風が当たらない場」、「太陽が当たらなく、風が通る場」、「太陽が当たらなく、風が通らない場」。この四つの環境を備え、なおかつ地面の硬軟も重要だと言われています。その上考えなくてはならないのは社会的な構造をもつ種の社会的バインドです。そのような環境をゾウに与えることが必要なのだということが海外の動物園で言われ始め、アメリカでは30ヘクタールを超えるゾウの施設が建設されようとしています。このような施設を造ることが無理だとしたら、その施設はゾウを飼う資格がないのだというのが彼らの考えです。

「ゾウを子どもたちに見せたい」という時代は過去のものです。ゾウが見世物の時代から、地球環境を知ることのできる存在へと変化しています。子どもたちはゾウを動物園の小さな飼育場で見なくても、かならずや素晴らしい人間に育つことができます。それはゾウを見世物にする施設ではなく、地球を考える場としての動物園であることです。そのような施設の方が「かわいそうなゾウ」を飼育するより、より多くの価値があります。世界でも最も有名で自然保護にも取り組んでいるニューヨークのブロンクス動物園は、現在の飼育しているゾウが全て死んでしまったらもうゾウは飼わないと約束しています。

ゾウを飼わなくてもいい動物園はできるはずです。そのような施設はどのような施設だとイメージできるでしょうか。例えば、飼育されている熱帯の動物はいなくても、季節には様々な花が咲き、その花や実を目あてに飛んでくる小鳥たちや蝶などの昆虫があふれ、美しい景観と素敵な休憩所があり、このような場所が都会のオアシスとなり、ひいては地球の温暖化を防ぐことができるのだということを証明すること。もし動物を飼育するのであれば、広い場所で、多くの動物たちが自らの意志で自由に行動することができ、様々な樹木や草が生え、そのような環境を地球上至るところに造ることが動物と私たちの世界とそして未来を守ることに繋がるのだという動物園の姿を示すことではないでしょうか。

繰り返して主張したいのは「動物を見せる」時代は終わったということなのです。
歩みは始まりました。後戻りは「地球環境」と「動物福祉」に利益はないのだという強い信念が必要なのです。

 

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